カリフォルニア州からオハイオ州に引っ越す

「ね、パラヴィ、どうしていつも晴れているカリフォルニアから悪い天気のオハイオに来たか?」

その質問は何回聞いたか分かりません。笑

私は大学に行くため、2014年の8月にカリフォルニア州からオハイオ州に引っ越しました。どうして、生まれた時からカリフォルニア州に住んでいたのに、せっかく四千キロメトルをかかって、オハイオ州立大学に決めたのかな?

八か月前まで、私はカリフォルニアに住んでいました。住んでいた所はシリコンバレーにあるクパティノーっていう都市でした。クパティノー市の名所はアップルの本店です。はい、クパティノーはアップルが生まれた都市です。すごくきれいな都市ですけど、子供を育てる事をしたかったら、環境は悪いと思っています。子供のころから、良い成績をもらうため、プレッシャーは強すぎて、学生の中で、競争力があるから、本当の友達を作る事は難しいと思っています。小学校の時、私は全部科目で良い成績をもらったから、余り気付けなかったけど、中学校に入ってから、「やっぱり数学や化学に弱い」と感じていました。お母さんもお父さんも工学を大学院まで勉強したし、お兄さんの頭が良かったし、友達も高い数学のクラスに入れたし、回っている人より歯が立たないと思っていました。

アッペルの本店です。

アッペルの本店です。

高校に入った時、好きな科目に集中する事に決めました。前は化学が好きじゃなかったけど、高校一年生の時、生物学に興味を持っていました。そして、私は文学と歴史と日本語(もちろん!)にも興味を持っていました。興味がある授業だったけど、難しくて、あまり良い成績をもらえなかった。自信を無くして、「諦めよう」という考えが普通になってきました。良い成績をキープできなかったのが悔しかったので、態度が悪くなってしまいました。でも、私は日本語の勉強を続ける事に決めたから、学校でもっと集中できるようになりました。

私の高校です。

クパティノー高校です。

しかし、大学の専攻を日本語の事に決めたお陰で、問題は多くなった。知り合いインド人の中では、皆は工学や生物学の専攻だから、両親は私の選んだ専攻を聞いた後で、心配している様子でした。両親とお兄さんはすぐサポートをしてくれたけど、他の家族や友達はどうして私は日本語をもっと勉強したいか分からなかった。今でも、「専攻を変えた方がいい、パラヴィ。」のアドバイスよく聞きますけど、今、自信が持っているから、全然かまいません!

でも、やっぱりどうしてカリフォルニアから逃げたんでしょうか?まあ、カリフォルニアである大学に行ったら、自由に日本語の勉強ができないと思っています。カリフォルニア大学は良いけど、高校と同じ人、同じ環境、同じ態度はいやだ。引っ越す事はやっぱり怖かったけど、オハイオ州立大学は大きくて、自由に何を勉強しても良いから、ここで嬉しいです。

オハイオ州立大学のユナバサチーホールです。

オハイオ州立大学のユニバーシティホールです。

今嬉しいけど、最初は本当に悔しかった。クパティノーの人々は多分80%ぐらいアジア人だから、ここに来てから、私は本当にアメリカの少数民族のです。オハイオ州立大学でインド人が非常にいますけど、私に出会った人は工学や化学を勉強している人しかいませんから、ちょっと残念だと思っています。前は授業の中でたくさんインド人の友達がいたけど、専攻は日本語だし、人は多くないし、授業の中で、私しかインド人がいないという事は普通になりました。今まで、ちょっと居心地が悪くなりますけど、私はしたい仕事では、インド人がないだから、その経験はある日、役に立てると思っています。

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